土地を取ったり取られたり

日本人には実感わかないけれども、国がくっついたり分かれたり、人種や民族や言語の異なるものが寄せ集まって一国を形成していたり、同じ民族が複数の国にまたがって住んでいたりなんてことは、世界中どこにでもあり、特に欧州では、類人猿の頃から、ず〜〜〜〜っとそれをやってきたから、珍しいことでもなかったということです。
特に中欧や東欧は、身内でまとまって住んでいるわけでもなければ、歴史的にずっと土地を保有してたわけでもないから、自決とか独立とか言い出すと、それぞれに言い分があって収拾つかない。

自分の住んでるとこを管理してる政府が、ドイツだろうとオーストリアだろうとポーランドだろうとスイスだろうとイタリアだろうとトルコだろうと、ちゃんとした政治やってくれるんだったらどこでもいいわけで、どうせ自分の国の王様は外国人だったり、外国の王様と親戚だったりするんで。

ところがナポレオン1世あたりから、自分はなに人で、なに国民だということを、強く意識するようになってきていた。

 ドイツ人によるドイツ国家

もともとドイッチュラントは東フランク王国のことで、これが御近所と連合して神聖ローマ帝国をやったので、ドイツっていうのは昔からたくさんの旗本領みたいなやつの寄せ集めで構成されていたわけです。
それがいったんバラバラに分裂してしまった。

バラバラでは近代化工業化できないので、ヴィルヘルム1世とビスマルクが、ドイツを再統一したのが、ドイツ帝国、いわゆる第二帝国。
王国4、大公国6、公国5、侯国7、直轄州1、自由都市3の連合。
ベルリンを都とするホーエンツェレルン家プロイセン王国の王様が、ドイツ皇帝を兼ねた。

第一次世界大戦に負けて、ドイツは帝国やめて共和制になったんですが、そしたら、これがまた弱小政党の寄り合いみたいな政府やってて、あんまりパッとしなかった。
カリスマで強力なリーダーがいなきゃダメだなあという空気になったところへ、少なくとも演説だけは抜群にうまいチョビヒゲの人が登場して、ドイツ偉いドイツ偉いナハナハ!なんてことを熱弁するもんだから、もう止めようがない。

もうひとつのドイツが、ハプスブルグ家オーストリア。
よそ者が多かったこともあり、普墺戦争以来ドイツに含めない方向だったけれども(プロイセンの敵だったから)、第一次世界大戦の後は、ハンガリー、チェコスロヴァキア、ユーゴスラビアなどが分離して、だいたいドイツ人の国になっていたので、ドイツに併合しようという話になった。
ヒトラーもオーストリア人です。

ここ最近は、民族の自決っていうと、分離独立の方向なんだけれども、この時のドイツは合併志向なんですよね。
それは、領土拡大の戦争ということにつながりやすい。

ヴェルサイユ条約の結果、ドイツの国境付近の土地を、住民ごと、周辺国にだいぶ取られていた。
こんなことするから、ドイツの土地とドイツ人を母国に復帰させようとか言って、世界大戦が起きちゃうわけです。

人様の土地を奪い取るっていうのは、じつにけしからんことです。わかってんのかレッサーパンダ。

しかもドイツは、植民地を持ってません。
昔はあったんだけど、これもヴェルサイユ条約が原因で手放した。
そしたら世界大戦でも起こさなければ、広い土地は手に入らないわけです。

 取られたものは、取り返す

抜いたなら斬れ、斬らないなら抜くなっていうのは、剣の極意です。
殺す覚悟もないのに脅しでナイフをちらつかせていたら、本当に刺してしまって、自分のやったことに自分でもびっくりして怖くなり、責任も取らずに悲鳴を上げて逃げ出すようなのは、かなり下っぱのチンピラがやることです。
頭のいい人は、刀を抜かずに解決する。
抜いたからには、殺すしかない。やらなきゃ、やられる。迷うと、やられる。やりかけた攻撃は、恐れず疑わず、ただ無心に打ち込む以外にないわけです。

ところが、英国は中途半端に紳士だから、ちょっとドイツかわいそうだなァ、やりすぎだったかなァ、オレたちだけ植民地いっぱい持っててなんか悪いなァ、と思っちゃったんでしょうね、このころ融和政策になっていた。
ドイツには、共産主義をせき止める壁になってもらいたかったし、いずれドイツと戦争するにしても、まだ英仏は準備もできてないし。

 

ヨーロッパ人にとって、世界大戦というのは、いまだに第一次世界大戦のことであり、そのくらい、世界が滅亡すんじゃないかっていうくらい大戦争でショックだった。
それがやっと終わって、まだ20年もたってないから、あんな悲惨なものを二度とやりたくない、だから、ドイツ民族の要求をまじめに聞いてやることが、世界戦争を回避することになるのだ、話し合いでおだやかに解決だ、オレって大人だなァ、と思い込んじゃっていた。

民族自決と言われると正論だし、第一次世界大戦の処理の時ドイツだけ民族自決させてあげなかったのが後ろめたいので、他国は文句が言いにくい。

ヴェルサイユ条約以来、国際連盟の管理下にあったザール工業地帯(というより、フランスに取られていたザール炭田)が、ドイツに復帰。35年。

フランスはとっくに軍事的に三流になっており、政治的にも安定せず、ドイツにちょっかい出す余裕もなくなっていた。
非武装地帯と定められていたラインラントに、ドイツは兵を動かしたが、フランスは動かず。36年。
フランスが腰抜けであることが確認できて、ヒトラーはますます自信をつける。

オーストリアをドイツに併合する。38年3月。
これは、じつは武力でやったんだけれども、オーストリア国民も、ナチスのバカっぷりはともかく、ドイツ民族がひとつにまとまること自体は大賛成だった。

チェコスロヴァキアの西側周辺部は、もともとオーストリアであり、ドイツ人が居住していたから、ドイツに併合する。38年9月。
国境付近に頑丈な要塞を築いてあったのに、そこを取られちゃって、もう丸裸だから、今後はドイツの言いなりになるしかなくなる。

残りの部分は、10月にチェコ=スロヴァキアになった。スロヴァキアにも自治が認められて連邦になったわけで。

チェコ人ばっかり金持ちで政治をやってて、どちらかといえば農民のスロヴァキア人は面白くなかったので、ヒトラーがさかんに民族運動をたきつけた。

さらに、独立スロヴァキアとカルパトウクライナが分離。39年3月14日。

独立スロヴァキアはドイツの傀儡、保護国。
カルパトウクライナは、ハンガリーからかっぱらったものだったので、ドイツと打ち合わせてあったハンガリーが2日後に併合(戦後はウクライナに併合)。
チェコは、ボヘミアモラヴィア保護領ということでドイツに併合。早くから工業化が進んでいる地域であり、ヒトラーは有力な兵器産業を手に入れる。39年3月15日。
つまりチェコスロヴァキアは解体されて地上から消滅。

リトアニアには、東プロイセンの港を取られていたから、これをドイツに返してもらう。39年3月22日。

ドイツはポーランドにもだいぶ土地を取られていて、そのせいで、東プロイセンは飛び地になっていた。
39年3月21日、この中間の部分を返せと要求したが、もとはといえばポーランド王国の土地だし、これを返すとバルト海への出口がなくなって内陸国になっちまうから、ポーランドは返そうとしなかった。

ヒトラーは、ここまでの流れからいくと、ポーランドに侵攻しても英仏は手を出してこないと確信していた。

 ソ連の登場と、英仏の正義感

ドイツの歴史は、このコンテンツと本書には関係ないんだけれども。
じつは赤軍も、ソ連建国のドタバタの時にポーランドに攻め込まれて、ウクライナの一部を持っていかれている。
ポーランドに負けるなんて、当時はそのくらい赤軍も弱かったということですが。

39年8月23日、独ソ不可侵条約が締結。
早い話が、
ヨーロッパを山分けしようぜという密約。
これでドイツもソ連も、挟み討ちされずに戦争ができる(ソ連にとっては、東側の敵は日本。この年の5月からノモンハン事件)。

39年8月24日、英仏はポーランドと相互援助条約を締結、これでポーランドに攻め込んだ国があれば英仏は戦わなければならなくなる。

このあと、第二次世界大戦です。

 

 →つづき 

 

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