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(背表紙)

 

英、米、蘇軍飛行機識別ノ參考

 

もちろん、実際は縦書き。

 

(表紙)

  

昭和十六年九月 
教 育總監部 

英、米、蘇軍飛行機識別ノ參考

 

これが本の表紙です。実際は縦書き。

41年の9月というと、太平洋戦争の3か月前です。だから旧式ばかり載ってるわけで。

 

教育総監部は、日本の旧陸軍の、学校や試験を統括してた部署。

航空兵力というのは、ターンや急降下、爆撃照準、空間把握や平衡感覚の身体能力、航法計算、航空無線や方向探知機、星形エンジンの整備、飛行場運営などなど、やることが地上部隊とは異質で、しかも、地上部隊には必要ないことばかりで、機関銃から弁当までいちいち「航空用」というのがあるわけです。
組織の序列の都合もあり、航空部門の教育は少し別系統になっていて、航空総監部というのがありました。

 

英・伊・仏・独は、早くから、陸軍航空隊や海軍航空隊ではなく、「空軍」を創設してました。
アメリカでは、呼び方は陸軍航空隊と言ってましたが、戦時中すでに陸軍からはほとんど独立してました。
この時代はヘリコプターが未発達なので、陸軍の航空機が地上兵力と連携するにしても、やることは飛行機です。

日本には空軍がなく、航空兵力は陸海軍それぞれの中にあったわけです。

それがいいか悪いかは、状況によります。
陸の飛行場で海軍の飛行機を運用するとか、陸軍なのに空母を持つとか、上陸戦と対上陸戦の制空を誰が担当するかとか、陸海軍の合同作戦時に誰が誰の指揮下にあるとか、陸軍の物資を空軍が運ぶ時はどっちの指揮下にあるのかとか、島国の空軍は海上ばっかり飛行するとか、海に落ちた空軍機を海軍が先に見つけて救助したら空軍の恥になるかとか、いろーんなことがある。

英国の初期の空母に載せてる飛行機は、海軍ではなく空軍の所属でした。
フランスは陸海の航空隊を空軍に統一して、有事だけ、艦隊航空隊が海軍の指揮下に入ったりした。
冷戦末期のソ連は、ほとんどのヘリを陸軍の管理下に移したこともあった。
戦後のアルバニアは戦闘機を持つ国力がないので、NATOの申し合わせにより、イタリア空軍に防空をやってもらっていた。
ニュージーランドは戦闘機を全部売り払って、今ではオーストラリア空軍にやってもらっていて、自分たちは哨戒ばかりやってます。
メキシコでは、空軍は陸軍の指揮下で陸軍航空隊として扱われている。
その国がそれでいいなら、それでいい。

日本ではあんまりいいことではなく、同じような兵器を陸軍と海軍が別々に開発生産するという、ただでさえ工業力の低い国でわざわざ二度手間をやっていたわけです。
飛行機に載せる機銃からもう、陸海別々でしたからね。
日本でも最初は陸海共同で飛行機導入の勉強会をやったり、空軍独立計画もあったことはあったんですが、時代がくだるほど陸海軍は仲が悪くなっていく。

 

空軍があろうとなかろうと、海軍には航空機が必要です。
米海軍のモフェット少将などが有名です。豚のポルコさんも海軍出身です。

空軍が独立していないほうが、陸海で競争して切磋琢磨する場合があり、特に、海軍航空隊が活躍する傾向がある。
海軍の航空隊は、だいたいどこの国でもプライドが高く、狭い空母に着艦するという、より難しいことをやっているということを誇りに思っていたりします。

映画『愛と青春の旅だち』で、海軍のジェット機乗りの訓練中に「私は祖国を愛しています」「デタラメは空軍に言え」なんて会話があり、分隊教練の走り込み中にみんなで「空軍バッジは鉛製」「海軍バッジは18金」なんて掛け声をやっている(笑)
もっとも、これは教練軍曹の口癖みたいなものらしく、海兵隊でも「貴様のような軟弱者につとまる仕事は、海兵隊には何も無い。あきらめて田舎に帰れ、それとも陸軍に入るか」、陸軍でも「将校には品位と人格が求められる。幼女をレイプして死刑になりたければ、おかど違いだ、海軍へ行け」、空軍でも「わが合衆国の戦闘機乗りは、模擬戦で自衛隊に惨敗したことなど一度もない、海軍を除いては」てなことをしょっちゅう言ってるそうで(笑) 

だいたい空軍というのは、どこの国でも、スマートでスカした軟弱者というイメージで固定している。
いざという時に助けてくれない、愛想の悪い格好つけ野郎と見なされている。

イタリア海軍がたびたび惨敗してますが、戦時中は空母がなく、どんなに支援を要請してもイタリア空軍は助けてくれなかった。
よっぽど懲りたとみえて、戦後のイタリア海軍は空母を持ち、対潜哨戒機は空軍が運用しても海軍の指揮下にあるなど、海軍も飛行機を使うぞバカヤローということになった。

国内でしか戦闘しない陸自も、今どき戦闘は立体的なのだから、航空支援が自前でないなんて、靴の上からかゆいとこをかくようなもんだ、ということをみんな言います。

旧日本軍では、陸軍の航空兵科は、航空本部という所の管轄ですが、これが航空総監部になったというか、航空総監部の職員が航空本部の職員を兼ねてたわけです。
東條、山下、阿南なんていう御歴々も航空総監をおやりになりました。
総監は大将か、その役職をやってる間だけ大将待遇の中将です。
戦争末期には一億玉砕的なことになり、航空総監部なんてものはなくなって、航空学校も実戦部隊に再編されるんですが。

 

ところが、この本は、飛行機の専門部署の航空総監部ではなく、教育総監部から出ている。

 

実際のところ、敵機来襲というものは、高射砲兵だろうと歩兵だろうと、誰にとっても深刻な時代になっていくわけです。
こっちは金属も石油もなくてピーピー言ってる、というか、それが原因で戦争おこしたのに、むこうはB-25を1万、B-17だと1万3千、B-24は1万8千機なんていう大量生産をやってやがるんで。
もう、飛んでるものは敵機ばっかりですからね、どうにもなりません。
B-29は当時は約2千機でしたが、それで日本はあれだけひどい目に合った。ほかに5千機が発注されていたのが終戦でキャンセルになったんだから恐ろしい。

父が軍司令部勤務だった時、敵があまりにも大編隊だという報告ばかり入ってくるので、誰もが「うーん…」と言ったきり何も言い出せない、その場に同席してるオレも間がもたん、最前線に出てるほうがよっぽどマシだ、がんばりたくてもがんばる事がなにもない…という日々が続いてたそうです。
部隊はあることはあるが、稼動機が少なく、出せば出せるが、出してもただ全滅して無意味に死なせるだけなのがわかりきってる。
父は今でも、酔うとときどき、この話になります…(これを聞かされる俺も、いたたまれないが)。

 

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、戦間期と呼ばれている期間は、航空機の黄金時代だったわけです。
技術がどんどん進歩して、次々にかっこいい新型が登場した。

日本も、絶対に負けない軍隊が、世界トップクラスの航空兵力を持っていた。

この本は、そういう時代に書かれたわけです。

じつは当時、旧日本軍はすでに硬直化して腐っていたうえに、第一次世界大戦から学ぶべきところを学び取っておらず、戦争に対する考えがとても古かったんですが、そのことに気付いていないというところがまた、幸せ者だった。
アメリカは開戦の5年前から、B-29の開発を始めてました。

 

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